4月から4ヶ月遅れの就任式ということもあって、さほど緊張感もなく平静でいられたのですが、教会員の皆様の気合の入りようと大勢の来賓、そして何よりも大阪の家族が来てくれたことが、じわじわっと心地よい緊張感を与えてくれました。
実は、いつかこんな日が来るのではないかと予感していました。戸手伝道所の仲間の前で家族を紹介する日、とりわけ兄弟を紹介するとき。その時、どんな風に紹介すれば良いのだろうかと。結局、私は家族の一人一人を紹介はしたけれども名前を紹介しませんでした。ただ一人、甥にだけは名前を名乗りなさいと言いました。私の兄たち(長男も次男も)は決して自分の名前を口にしなかったし、他の家族を名前で呼ぶ事もありませんでした。そのことに気づかれた方は恐らくいなかったと思います。しかし、口にはしませんでしたが、これは家族の中での暗黙の了解なのです。
社会の中では韓国人であることを隠し、本名を名乗る事はありません。しかし、戸手のようなところでは、通名を名乗る事の方が逆に難しいのです。私は兄弟を本名で呼んだ事はありませんし、兄弟たちは今でも、私を「ゆうぐ」とは呼びません。
来賓の方々の祝辞の中で、民族差別に関わるお話がありましたが、私は家族がどんな思いで聞いているのかだけが気がかりでした。就任式の日、うまく言えませんでしたが「一人、川崎にいても家族が支えであった」それが私の家族に対する応答でした。
私は、日本基督教団の川崎戸手伝道所に就任しました。この地域にあって、その勤めに奉仕する事を誓約しました。これに正直に歩んでいきたいと思います。しかし、私の究極的な目標は家族の幸せです。そのために、この戸手で頑張ります。本名であろうと、通名であろうと、自分の名前ぐらい普通に言えるそんな普通の幸せを得る事が出来るように。その事を、改めて心に刻んだ意義ある就任式でした。