判決

2/25 東京地裁で北村慈郎牧師の戒規免職処分取り消しを求める裁判の判決が下されました。「原告の請求を棄却」
この判決は教団の下した戒規免職を妥当であるとするものではありません。大ざっぱに言えば、原告側は教団の教義と切り離して、その手続論を問題に取り上げて北村牧師の被った不利益(免職、年金減額)の回復を求めました。これに対して裁判所は、北村牧師が戒規免職になった事を論ずる場合、どうして教団の教義に踏み込むこととならざるを得ない。日本の司法が教団の教義に踏み込んでその判断を裁くことは出来ないので、これは裁判にはならない、というのが判決の意味です。
即ち、本件は日本の司法という俎板に乗せることの出来ない問題であり、教団内で処理して下さいという事です。
この判決を受けて、支える会の関田牧師は「この判決はポジティブに捉えたい」と言われました。即ち、キリスト教会なら日本の司法に頼ることなくしっかり内部で議論しないさいと突き返されたと受け止めたいという主旨でした。
確かに、問題は不当な手続で北村牧師を戒規にかけて免職した事であり、そのような事を可能にする教団内部の問題であります。
裁判は控訴し司法の場での闘いは続きますが、大切なのはやはり教団内部で、この問題を取り上げることの出来る状況を作り出して行くことでしょう。今のところ教団総会に神奈川教区が議案を提出しても上程されません。
政府が景気回復を最優先に掲げ、株価上昇と円安によって原発や基地問題は後退していくのと等しく、現教団執行部は教団の財政再建のために「伝道」を掲げ、「北村問題」が取り上げられない事が酷似しています。
建設的な内部批判を取り上げない宗教は滅ぶと関田牧師は言われました。震災後、内部の問題でエネルギーを消費している場合ではありませんが、日本キリスト教団が何者であるのかという存在意義に関わる大切な事柄として今後も注視して参りたいと思います。

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