対話を求めて

先週13日水曜日、川崎朝鮮初級学校の教員、保護者19名が朝鮮学校への補助金打ち切りに対する抗議と、知事との面談を要請するために神奈川県庁、学事振興課を訪問しました。10時半から12時までの1時間半、教員、保護者がそれぞれの想いを語りました。
今補助金を打ち切られると、学費を値上げする次元の問題に留まらず、学校の存続自体が危ぶまれる状態に陥ります。知事は政治判断という一言で対話に応じてくれません。私たちの訴えを聞く学事振興課の担当者も「皆さんの声を確かに知事にお届けします」と答えるだけで、此方の問には何も答えてくれません。知事との面談を希望した所、「知事が会うと判断した場合はご連絡しますが、ない場合は会わないと理解して下さい」という事でした。
結局一方通行で、対話を拒否され続けています。県民が対話を求めているにもかかわらず行政はそれを拒否しています。本来ならば朝鮮学校関係者に先ずもって説明がなされるべきものが、何の根拠もなく「県民の理解が得られない」とは理解に苦しみます。
その日、最も印象的だったのは一人のハルモニの言葉でした。「朝鮮学校への補助金を継続するのは、朝鮮学校自身のためにではなく、日本が民主主義を守るためではないでしょうか?」と。
私は然りと頷きました。弱い立場の者を守ってこその民主主義であります。またその弱い立場にある者たちの声に耳を傾け対話のテーブルについてこそ民主主義ではないでしょうか。
今の政府は、金持ちが「本来あるべき」金持ちの姿を取り戻し、その金持ちが十分に潤い、そこからこぼれ落ちるパンくずで庶民の胃袋を満たそうとしています。確かに経済成長とはそういうものなのかもしれませんが、そんな浮かれた政策の陰で、被災地や沖縄、福島、そして朝鮮学校の問題は後回しにされるどころか政治の道具に利用されています。
民主主義の「民」とは誰のことか?「民」の声に耳を傾け対話する神奈川県であり、日本であることを切に祈り願います。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です