震災2年目を前にして

明日で、東日本大震災発生から2年を迎えます。福島第一原発の廃炉処理、避難民、除染、がれき処理、街の復興、どれもこれも未解決の現実問題です。二年も前に起こったことですが、未だにその被害の渦中を生きる人々が残されています。その原因の一つに復興予算とその使い道があげられると思います。
神奈川教区災害救援委員会は昨年に続き、今年のゴールデンウィーク(3,4,5,6)も福島の幼い子どもを持つ家族の一時保養キャンプ(リフレシュ@かながわ)を実施致します。一時保養キャンプは短期間でも放射線量の少ない所で過ごすことで体内に取り込んだ放射性物質が排出され、免疫力も高まる効果があるとされています。昨年は15家族64名をお迎え出来ましたが、今年も同規模のもの計画しています。既に23家族の募集が寄せられ、これから宿泊ホテル(ナビオス横浜)と受け入れ家族数の調整と交渉に入ります。
教団神奈川教区という組織が出来ること、それはおよそ100万円の予算を投じて僅か15家族の保養キャンプを企画する程度です。その100万円の殆どが教区内の教会、信徒の献金によるものです。大切な献金を有効に用いる責任が教区災害救援委員会にはあります。活動に投じた予算と、それから導きだれた効果というものを、予算を委ねられたものはどうしても考えがちです。またその効果が、次の予算申請にも影響を与えます。しかしそういった予算の使い方(もちろん悪用は論外ですが)に政治的な力学が入り込む事が(予算と政治は切り離せないのであるが)、活動を遅延させる一要因にもなっているのではないでしょうか。
また、神奈川教区の場合、災害救援委員会(四役+社会委員長)が予算を立案し、実行委員会が活動する体制をとっています。すなわち予算の用い方を決めるところと、予算を使って活動するところが異なります。しかし、どのように予算を使うことが望ましいかを一番知っているのは活動を担っている実行委員会です。実行するものに予算を決める権限はなく、実行しないものが机上で予算を決めています。この両者に介在する摩擦や不効率が、国と被災地の関係に類似しているように思いました。
私は政治とは一線を画し、専ら活動に重心を置くことに決めたつもりですが、活動するには予算が必要で、予算を引き出すには政治をしなければなりません。皮肉なものであります。
聖書は真理について語りますが、それを実現する方法論(つまり知恵)をあまり教えてくれません。しかし数少ない知恵の一つに、「蛇のように賢く、鳩のように素直に・・・」(マタイ10:16)という一節があります。先週は、災害救援委員会と実行委員会の間の調整に努めましたが、まさに正論を押し通すのではなく、時には賢さと素直さが大切であることをしみじみ感じた一週間でした。

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