清鈴園

昨日、神奈川教区総会で逝去牧師の追悼礼拝が守られました。一人は荒井俊次牧師、そしてもう一人は杉原助牧師です。

杉原牧師は主に西中国教区で牧会され「特別養護老人ホーム清鈴園」の建設に深く関われました。

 清鈴園とは、先週の社会委員会の学習会でも触れましたが、戦責告白の実質化として広島県の廿日市市に建設されました。その清鈴園のホームページに以下のように記しされています。

  清鈴園は、日本キリスト教団に連なる諸協会の熱い祈りによる働きと、 主旨に賛同して下さった多くの協力者の支援により設立されました。

 1967年、当園の母体である日本キリスト教団は、第二次世界大戦における「戦争責任告白」を公にし、 再び過ちを繰り返さないためにも、戦争の痕跡深きここ広島に「原爆孤老の救済」を目的とした、初めての原爆養護ホームの建設を実現しました。

 当時から「社会福祉」「地域への貢献」を使命とし、清らかな心で地域の皆様とともに歩み続けて約30年、 時代は変われども当時の熱い思いと意志は今もなお、脈々と受け継がれています。

  戦責告白、それ自体は言葉です。しかし、その言葉の真意は、受肉してはじめて明らかになるのではないでしょうか。

 杉原先生は、当時、西中国教区で、戦責告白の実質化として、清鈴苑の建設を提案し、自ら建設委員長をお勤めに成られたとのことです。まさに清鈴苑は戦責告白が受肉したものそのものであると思います。

 私ども川崎戸手教会も戦責告白の実質化を宣教方針に掲げています。この告白の受肉として河原に在ることを覚えて今日も礼拝を守りたいと思います。

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