韓国強制併合100年とキリストの教会 ―個的現場の視点から― (2)

「韓国併合」100年/「在日」100年 日・韓・在日教会シンポジウム 発題

韓国強制併合100年とキリストの教会

―個的現場の視点から―

関田寛雄

■「教団戦争責任告白」の発表(1967年)

大村議長の訪韓は日基教団の側にも深い反省の機運を強めることになり、第14回教団総会(1966年10月)は、「戦責告白」を教団として公けにすることを決議したのです。時の教団議長・鈴木正久牧師は常議員会の要請を受けてその草案を練り、翌年、復活節において発表することになりました。その全文は別に紹介されていますが、ここではその重要部分を引用したします。

「『世の光』『地の塩』である教会は、あの戦争に同調すべきではありませんでした。まさに国を愛する故にこそ、キリスト者の良心的判断によって、祖国の歩みに対し正しい判断をなすべきでありました。

しかるにわたくしどもは、教団の名において、あの戦争を是認し、支持し、その勝利のために祈り努めることを、内外に向かって声明いたしました。

まことにわたくしどもの祖国が罪を犯したとき、わたくしどもの教会もまたその罪におちいりました。わたくしどもは『見張り』の使命をないがしろにいたしました。心の深い痛みをもって、この罪を懺悔し、主にゆるしを願うとともに、世界の、ことにアジアの諸国、そこにある教会と兄弟姉妹、またわが国の同胞にこころからのゆるしを請う次第であります」

■「戦責告白」の実質化を求めて

この「戦責告白」が公表されたとき、日基教団の多くの教会はこれを歓迎し、これこそ大戦後、教団が存続し活動を続けるための根拠であり原点であると歓迎いたしましたが、率直に言って全面的に同意を得たわけではありません。

その理由は、戦時下教会の指導に当たった人々の中には、「我々は教団を守るために必死の努力をして来た。圧倒的な天皇制支配のもとで何とか教団を守るために多少の妥協と協力は止むを得なかったのだ」と主張し、さらに「教団としては信仰において一つではあっても対社会問題に対しては複数の立場があるべきだ」として、「戦責告白」に批判的な人もありましたし、教団総会における議決を経ていないから、各個教会にとっては「戦責告白」は拘束性はない、と消極的姿勢をとる教会もありました。この「戦責告白」表明後、今なお教団内においてもその評価をめぐり論争が続いております。それゆえに私どもとしてはこの「告白」の実質化を徹底し、そのことによって韓国教会をはじめアジアの諸教会との和解の上に立つ、真の交わりの確立を願うものであります。平和の主イエス・キリストの福音が社会において具体的な実を結ぶべく、アジアの教会の直面する共通の課題、人権、平和、環境保全などの課題を担うことを、心から望む次第であります。

つづく

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