先週、関田寛雄牧師を講師としてお招きし、大変豊かな教団史の学びを持つことが出来ました。
以下の文章は、「韓国併合」100年 日・韓・在日キリスト者共同宣言と題し、2010年7月5~6日、韓国教会の代表者を迎えて、日・韓・在日教会シンポジウムを開催しました時の関田牧師の発題です。
内容的に、先週の学習会と重なる部分もあり、且つ川崎戸手教会の歩みについても言及されていますので、かなり長文ですが、しばらく連載し、川崎戸手教会の資料として収めたいと思います。
「韓国併合」100年/「在日」100年 日・韓・在日教会シンポジウム 発題
韓国強制併合100年とキリストの教会
―個的現場の視点から―
関田寛雄
はじめに
私はアジア史の専門家でも、政治・経済史の専門家でもなく、川崎の下町に二つの小さな教会を解説した一伝道者に過ぎません。しかし、その現場で出会った在日韓国・朝鮮人との交わりの中で、韓国強制併合という日本の罪に今なお苦しみ続ける人々の痛みを知りました。これからお話することは、その経験の中から過去への反省と今後への展望について語るつもりであります。
1.出発点としての「教団戦争責任告白」
主題について語る場合、私としては1967年復活節において公にされた、「第二次大戦下における日本基督教団の責任についての告白」を前提にしなければなりません(「戦責告白」と略称します)。この「戦責告白」は直接的にはいわゆる15年戦争下における日本基督教団の成立およびその戦争協力の罪の悔い改めの宣言ですが、その含意するところは、さらに19世紀末以来のアジア諸国への日本の帝国主義的侵略に対して、平和の主を告白するべき教会の「見張り」の務めの欠如に対する悔い改めでもあります。
特に韓国強制併合100年の経過において、日本政府の植民地化政策、また皇民化政策に対して、わずかな例外を除いて多くのキリスト教会はこれを傍観・是認し、これに協力して来た事実に対する悔い改めなくして、本日この集会における私の言葉は語れません。この「戦責告白」成立の経過を述べつつ、私の牧会および教会形成をふまえながら、歴史への反省と将来への展望について述べたいと思います。
■大村勇教団議長の韓国訪問(1965年)
日帝からの解放後、日本と韓国の教会の交わりは絶たれたままでした。日帝時代、日本の教会指導者から、皇民化教育の典型である、神社参拝を強要され、そのため50人余の殉教者を出した韓国教会は、当然のことながら日本の教会に対して不信と抵抗感を持っていました。1965年9月、韓国長老教会は創立80周年を記念して諸外国教会代表を招くことにしたのですが、その中に日本基督教団総会議長・大村勇牧師の名がありました。韓国教会はこの日本代表からの挨拶を受けることに強い難色を示し、総会決議は1票差で教団代表を受け入れることに決まりました。この時、大村勇牧師をよく知り通訳として同伴したのが在日大韓川崎教会の李仁夏牧師でありました。李牧師は大村牧師と話し合い、まずもって植民地時代の日帝の罪の告白と謝罪を述べること、しかも冒頭に短く「かつての支配者の言語で語ることを許してほしい」と韓国語で語ることにしたのでした。こうして通訳を通して語られた大村牧師の挨拶は、大きな拍手、しかも全員起立しての拍手で迎えられました。李牧師のこのアドヴァイスは、日韓両教会の和解の道を開くものとなったのです。
つづく