韓国強制併合100年とキリストの教会 ―個的現場の視点から― (5)

■指紋押捺拒否闘争の中で

1985年、折柄広がり始めた指紋押捺拒否運動の中で、李仁夏牧師が理事長を務める社会福祉法人青丘社の職員、李相鎬氏が切り替え時に当たって指紋押捺を拒否しました。その動機は、彼が担当している学童保育のクラスの中で、中学生たちから問われ、あたかも犯罪人扱いのような指紋押捺を控えての不安を知らされたからです。事実、外登証の切り替えは、区役所の窓口では写真照合だけで行っており、指紋確認は90%、警察の犯罪捜査に利用されていました。李氏はこの際、子どもたちの不安と悲しみを克服するためには、自分から押捺拒否に踏み切るしかないと決意したのでした。当時の川崎市長・伊藤三郎氏は「外登法の側に問題がある。川崎の外国人市民が指紋押捺を拒否しても、川崎市としては告発しません。法も規則も人間愛をこえるものではない」というすばらしい見解を記者団の前で開陳しました。

それにもかかわらず、李相鎬氏は通勤途上で臨港警察署により逮捕されたのです。

李仁夏牧師からの電話で急遽、臨港警察署への抗議行動を行うことになり、私も青丘社後援会会長として親しくしていた李相鎬氏を救出するために同行しました。総勢20人も居たでしょうか。青丘社の職員、保育園の保護者、日本人のボランティアなどでささやかなデモをしつつ、警察署に参りました。警察署前は警察官がびっしり並んでいて、私たちを中に入れようともしません。李牧師は、地方自治体である川崎市が告発していないものを逮捕するとは手続きが間違っている、越権行為である、と訴えました。署長は不在というので警備課長に李牧師が声明文を読み上げ、課長に渡そうとしますが、彼は受け取りません。そこで青丘社の職員や親たちが、長鼓と銅鑼で署の門前で踊り始め、「李相鎬を返せ」とのシュプレヒコールを1時間余り続けました。

やがて弁護士のアドバイスでいったん引き揚げましたが、その夜は「李相鎬君を支える緊急集会」が、川崎市職員会館のホールで開かれました。約400人くらいの出席者で満杯の会場で、李仁夏牧師は基調報告を行い、聖書の言葉をもって「人に従うよりは神に従うべきである」と結ばれ、次いで私も立ち、黒人解放の指導者M・L・キング牧師からいただいた手紙を紹介しつつ、「今、我々は最も困難な事態に立ち至っている。しかし、道徳的にはすでに勝利しているのだ」という彼の言葉を引用して話を終りましたが、万雷の拍手が湧き、支援者たちは涙をもって応答してくれました。

やがて弁護士が到着し、李相鎬氏からの支援者に対するメッセージが紹介されたのですが、それもまたイエスの言葉でした。「私は今から蛇のように賢く、また鳩のように素直に闘います」と。これにもまた割れるような拍手が続き、この集会があたかもキリスト教伝道集会のような雰囲気をもったことを記憶しています。しかし、まさに真のキリストの福音の証はこのような場でこそなされるべきであり、聖書の真理はこのような文脈においてこそ明らかにされるのではないでしょうか。

指紋押捺拒否の運動は広がり、切替の時が近づいた保育園関係者や母親たちが「我も我も」と拒否を始めました。「罰金を払うお金がないから、私は刑務所に入ることにするわ」などと語る若い母親たちの姿をみて私は思いました。かつてアメリカ南部の人種差別的な法律に抵抗して刑務所入りを望む黒人たちが続出した事態を見て、キング牧師は「ニュー・ニグロが生まれた」と言いましたが、それに習っていえば、まさに日本に「ニュー・コリアンが生まれた」ということでしょう。かくして日本の法務省は指紋制度の廃止と外登法の大幅の改正をすることになりました。しかし、未だそのカードの常時携帯義務の制度は改められていません。

つづく

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