傲慢

エレミヤ書 13:17

わたしの魂は隠れた所でその傲慢に泣く

エレミヤは、偶像信仰に堕落しているユダの民に審判預言預言として象徴的行為を行いました。

先ず、麻の帯をユーフラテス川の岩の裂け目に隠して置きます。すると月日がたって帯は腐って役に立たなくなくなりました。これは、神は民と帯で固く結ばれることを望んでおられたのに、イスラエルはこの帯のように腐って役立たずになってしまったとの意味が込められています。

次に、エレミヤはユダの民に、かめに酒を満たすよう命じます。これは民を酔わせ理性を失わせて、お互いを争わせ自滅させるという象徴行為です。

真に厳しい審判預言ではありますが、神は「わたしの魂は隠れた所でその傲慢に泣く」と最後に結んでいます。泣くぐらいならばそもそも裁かなければ良いかもしれません。しかし神の裁きの本質は、常に怒りではなく愛に根拠を置いています。自らの怒りを晴らすための裁きではなくのではなく、立ち返ることを望んで神は裁き、その裁きに応答してい欲しいと願っておられます。しかし期待すべき民の応答がない故に神は泣くのでしょう。

さて更にこの神の涙に注目を引くのは、「その傲慢に泣く」という点です。この意味する所は、おのが腹を神とし、主なる神に頼らないこと(即ち不信仰)を傲慢と呼んでいます。

信仰者は「不信仰」から弱さや無理解という言葉をイメージします。しかしエレミヤはこれを傲慢と呼びます。エレミヤに言わせれば、神に従い、神に頼ることをしない生き方は、神から見れば傲慢だということです。

不信仰が傲慢であるという見方は驚きですが、最近父である私を信じず、私を頼ろうとしない時の娘が何故か傲慢に見えるのです。

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