狂騒の中

気がついたら財務大臣(兼副総理)の「ナチスの手口に学べ」という問題発言が、いつの間にかウヤムヤにされてしまいました。今の世の中の空気を象徴しているようです。

本音がつい口から漏れてしまったのでしょうが、しかし私はナチス云々よりも、憲法改正について、「狂騒の中で決めてほしくない。 落ち着いた世論の上に成し遂げるべきものだ」という発言に問題を感じます。

「狂騒」とは狂ったような騒がしさという意味らしいですが、そのように見えるのは自身が多数側に身をおいているからでしょう。多数側は常にすみやかな採決を求め、少数側は議論を求めます。そして少数側の求める議論が、多数側には「狂騒」に見えるのです。

一つの事象が立場によって見え方、感じ方は変わってくるものです。その無自覚を人間の弱さ未熟さと言って良いのかもしれません。しかしその無自覚を意識化して自覚していくこそが真に対話を対話らしめ、狂騒ではなく議論たらしめるものではないでしょうか?

今、私はこの議論について多数側にいるのか?少数側にいるのか?すみやかな採決を求めているのか?採決を急がず対話の継続を求めているのか?少し立ち止まって自分の立ち位置を確認できるとき、人は聞く耳を獲得し、愛に根ざした真実な言葉を語ることが出来るのだと思います。

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