思慮深く生きる

先週、特定秘密保護法案が閣議決定されました。新聞テレビで報道されているように、この法案の問題点は「秘密の指定範囲や基準があいまいで恣意的な運用の余地が残り、取材・報道の自由との線引きもわかりにくく『知る権利』を阻害するとの懸念が消えない。」という点です。

このような手法は今に始まったことではなく、国家権力の常とう手段であると言えます。即ち、細かいことは後から決めますという手法です。

総論を抑えて、各論は後からという手法は非常に便利ですが、信頼関係のないところでは成立しがたい手順です。

既に自民党は憲法改正の草案を公にしていますが、その13条において、

「全ての国民は、個人として尊重される。生命自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公益及び公の秩序に反しない限り立法その他の国政の上で最大限に尊重されねければならない」となっています。

これは現行の「公共の福祉に反しない限り」を「公益及び公の秩序に反しない限り」に変更されているわけですが、公益と秩序の内容があいまいで、それは時の政府の解釈に委ねられようとしています。すなわちそれが公益及び公の秩序に反していると政府が判断すれば個人の権利を制限できるということです。

もちろん国家権力には外部への漏洩を防がねばならない秘密事項というものがあって当然かもしれません。管理する側の立場になればそのような発想は至極当然といえるでしょう。しかし国家権力というものは基本的に疑ってかかるというのが民主主義の基本姿勢です。そしてその最前線に置かれているのが日本国憲法であります。国家権力は国民に理解を得る事のできる最初の第一歩を踏み出し、その後はなし崩します。その冴えたるものがPKOであり、TPPも国民が予想しなかった事態に陥るかもしれません。

油断して眠っていてはいけません。学ぶべきは学び、思慮深く生きて参りましょう。

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