歴史の叫び

先週、宿河原教会で牧師会がもたれました。今回は小林牧師が「現代日本の歴史認識 その自覚せざる欠落を問う」中塚明著 について発題してくださいました。

「日本の近代史を考えるとき、客観的に見て、明治以降の朝鮮への侵略の歴史を視野に入れなくて、何が明らかになるだろうか。しかし、今の日本には、『明治の栄光、愚かな昭和の戦争』というような言説が大手を振っている」(本文より)

小林先生の発題を受けて、私が関心を寄せたのは、現在、韓国で以下のような特別法が続々と制定されている所です。

東学農民革命の名誉回復に関する特別法

済州四・三事件真相糾明及び犠牲者名誉回復に関する特別法

日帝強占下反民族行為真相糾明に関する特別法

ほか多数

歴史は、しばしば強い立場の都合で歪められるものです。そして歪められた側は、その歴史を回復せしめんとします。真相究明、名誉回復、これらの特別法の名称がそれを明らかにしています。

今日、領土問題など歴史認識が外交問題の中心にあります。立場と方法を問わず、とにもかくにも人間は歴史と向き合わざる負えない存在なのでしょう。

未来を思考するとき、歴史との対話は不可欠であり、正しい歴史認識というものが如何なるものか、それは言葉では定義しづらいものです。それは今日、歴史認識がまず持ってあるのではなく、思考する未来あって、それを実現するために都合の良い歴史認識をするからです。故に、政治の世界では歴史認識の突き合わせによる話し合いは生産的なものは生まれないでしょう。何故なら、歴史認識は自ら思考する未来を実現するための手段であり道具であるからです。

正しい歴史認識は分かりませんが、人間の歴史に対する正しい態度があるとするなら、それは歴史に聞こうと身構えて襟を正し、その歴史が指し示す未来に自らを用いて生きていこうとする時、歴史は我々人間に何かを語ってくれるのだと思います。

そして歴史を捻じ曲げるということは、自らを欺き神を欺くものです。己の矛盾と限界、それに向き合えるものにこそ歴史の叫びが聞こえてくるのでしょう。

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