脱し得ないもの

先週、園遊会で一人の国会議員が天皇に手紙を渡した行為が避難を浴びている。

善意と信念に基づくものであると私は信じたい。しかし、それでも天皇制という枠組みと言うべきか、手のひらとでも言うべきか、その問題性の内側を脱し得ない。それどころか結果的に天皇の権威を補強してしまった。

この出来事を通じて私は人間には誰でも脱し得ないものがあると痛感した。

「人間には誰でも・・・」ということは、当然私もその一人である。私にも脱し得ないものがある。しかしその脱し得ないものが何であるかは分からない。何故なら、分からないからこそ脱し得ないのである。

ただひとつの救いがあるとするなら、そのような脱し得ないものの支配下にあることの自覚かもしれない。

そしてその自覚は私を自分とは違う異質なものとの出会いと関係を阻害しない。本来そこには、苛立ちや不満や不快感、時には嫌悪感というような類のものが横たわっている。しかしまさにそれこそが、脱し得ないものの実態に遭遇しようとする「しるし」ではないだろうか。故に異質との出会いは私の可能性であり希望である。繰り返しになるが、しかしそこには苛立ちや不満や不快感、時には嫌悪感というような類のものが横たわっているのである。

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