余分と施し

現在、聖書の学びと祈りの会ではトビト記を学んでいます。内容はアッシリアによって滅ぼされた北イスラエル出身のトビトが、捕囚の地において信仰を全うする物語です。

自分の嫌なことは、他のだれにもしてはならない。ぶどう酒を酔うまで飲んではならない。また、酔うことが習慣となってはならない。飢えている人に、お前の食物を、裸の人にはお前の衣服を分け与えなさい。余分なものは全て施しなさい。(トビト記 4:15-16)

上はトビトが息子トビアに遺言として語った一節です。ここでは酒を酔うまで飲んではならないという戒めと、余分なものは飢えた人に施せという教えが結び付けられています。即ち、余分なものは自らを楽しませるために用いるのではなく、不足している人々の為に用いなさいという事です。

先週、宋富子姉をお招きして、文化センターアリランの働きと経済的に困窮している状況をお伺いしました。また昨日は、教区の多民族共生を目指す小委員会の集いとして、神奈川朝鮮中高級学校を訪問し、県の補助金を打ち切られた厳しい状況に接しました。私どもの周りには、不足が満ちています。

酒に限らず、富める者は何かに酔ってはいないでしょうか。トビトは身を削ってでも飢えている人に施せとは言っていません。また酒を飲むなとも言っていません。ただ、酔うほどの余分があるなら、それは飢えた人に用いなさいと勧めているのです。

私には耳の痛い、且つ襟を正される、み言葉で御座いました。

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