共に年老いる

先週は、三度の葬儀に参列しました。

酒井幸子姉は、故李仁夏牧師の奥様で李仁夏牧師と同じ88歳で天に召されました。笑顔を絶やさず、お会いした時は常に私を息子のように見つめ可愛がって下さいました。川崎桜本での多民族共生をめざした李仁夏牧師のお働きは酒井幸子姉の、支えあってのものと痛感した葬儀でありました。棺には天国で待つ李仁夏牧師に会える喜びに満たされたような笑顔がありました。

元蒔田教会の牧師であられた、今橋朗牧師は81歳で天に召されました。日本では数少ない礼拝学の教師であり讃美歌21の普及に奔走された頃が私には印象深いです。あれは讃美歌21の講習会の時、今橋先生が「初版には、何箇所か間違いがあります。それで第二版までお待ちの方がいますが、間違いがあるのは初版だけで、それを含めて初版なのです。どうぞみなさん初版本をお買い求め下さい。」と申され、会場を沸かせました。葬儀で、奥様がご挨拶で紹介された今橋先生の「ありがとう、さようなら、また会おうね」という最後の言葉がとても印象的でした。

そして神谷量平兄、99歳。神谷兄については先週の一週一言で触れましたが、その視座は平等で公正な社会を目指す社会主義的なものでありました。そこには容赦しない厳しい権力批判が貫かれていました。しかし葬儀の折り、ご親族のお話から伺える神谷兄の印象は優しい夫でありまた父でありました。私が逝く時、妻や娘たちから、こんな風に思われたいと嫉妬するほどでありました。男性的な表現ではありますが、本当に強い男は、真に優しい男なのでしょう。死してその香りを漂わせる神谷量平兄を感じました。

今、水曜の聖書の学びと祈りの会ではトビト記を読んでいますが、先週の箇所に次のような一節がありました。トビトの息子トビアがサラとの婚姻において祈った一節「今わたしは、このひとを、情欲にかられてではなく、御旨にしたがってめとります。どうか、わたしとこのひとを憐れみ、わたしたちが共に年老いていくことが出来るよにしてください。」(8:7)

「年老う」とはそれ自体消極的な表現ですが、婚姻に際して共に年老うことを神に願うこの文脈に置いては、何故か美しく響きます。夫婦が共に生きるとは、共に年老うことである。ひとり我が身の年を見つめるのではなく、また連れ合いの老いる容姿に眉をひそめるのでもなく、夫婦とは共に年老いて逝くものなのでしょう。先週の関田牧師の説教にあやかるならば、それは「笑うものと共に、泣くものと共に」、共に年輪を刻んでいく事なのだと思います。

軽々しく「歳は取りたくないものだ」と口にしてしまいますが、それはきっと自分だけを見つめているからでしょう。未だ「共に年老いる」という言葉が奏でる美しい響きの真意は解り得ませんが、先週のお三方の葬儀と、トビアの祈りが不思議と共鳴しておりました。そして私もこのように逝きたいと思うことの出来た葬儀でありました。

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