和解をめざして

昨日、第131回 神奈川教区総会が清水ヶ丘教会に於いて開催されました。その第11号議案「北村慈郎教師の『免職処分』を撤回し、教団内に聖餐の在り方について慎重かつ十分な議論をする場の設置を求める件」を関田寛雄牧師が提案者として議案の趣旨説明に立たれました。

関田牧師はその冒頭で自ら神奈川教区に仕えて60年になることに言及し、今このような提案をしなければならない現実を憂いつつも、この提案がめざすもの、それは教団執行部との和解であると申されました。

北村牧師をだまし討ち(常義委員会は非公式なものとして北村牧師にフリー聖餐についての発言を求め、その発言を根拠に戒規免職処分にした)にした執行部に対して「和解したい」とする関田牧師の姿勢に学びたいと思います。

日頃、M.Lキング牧師の「自らの内にある敵意に打ち勝つ」という言葉を引用し、和解を教示する関田牧師でありますが、その教えを自ら生きる姿勢を示されました。敵は教団執行部にあらず、めざすべきは彼らとの和解であり、敵は自らの内にある敵意そのものであるということでしょう。

何が善で何が悪か?難しい課題に遭遇すると、それが分からなくなり、道に迷ってしまう時があります。道に迷わないためには揺らぐことのない確かな目標を持つべきでしょう。

キリスト者がめざすべきは「和解」であります。善悪を明らかにすることが私たちのめざすものではありません。勿論、過程においてそれは不可避であるかもしれません。しかし、私たちがめざすべきは和解であり、善悪はそれに仕えるものです。

分離対立ではなく、また信条による一致でもなく、神がイエス・キリストを通じて示して下さった和解をめざして参りましょう。その確かな目標が、私どもの揺るがぬ道標と信じます。

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