成熟

月に一度、YMCAかわさき保育園で説教奉仕をさせて頂いております。昨日、そのYMCAかわさき保育園の卒園式がありました。卒園児は一人一人卒園証書を授与された後、会衆に向かって「私は大きくなったら○○○になりたいです」と大きな声で発表します。これが毎年恒例で、私には、楽しみの一つです。

昨日は、アイスクリーム屋さん、お菓子屋さん、ケーキ屋さん、バスの運転手、ピアニスト、デザイナー、パソコンを使う仕事、警察官が登場しました。

卒園児たちは、大人になって就きたい職業を発表してはいますが、それはそのまま、好きなモノに置き換えられると思いました。好きなモノが、そのまま職となる。こんな恵まれた事はないでしょう。

私は子供の頃、まさか牧師になるとは夢にも思っていませんでした。また、誤解を恐れず言えば、好きで選んだ職業でもありませんでした。卒園児たちの夢は適うでしょうか?確かにお菓子屋さんには、ならないかも知れません。またピアニストには、なれないかも知れません。しかし大人になって、その時好きなモノになれますようにと願います。

 

<マタイ福音書7:12>

だから、人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい。これこそ律法と預言者である。

 

聖書は、自分の望みを獲得するためではなく、それを隣人に与えることを説いています。簡単なようで難しい事ですが、此処に私たちが信じる神の性質が表れています。

聖書の神は奉仕する神です。しかし「主なる神」とは、人が神に仕える関係性を表しています。これは一見矛盾しているように見えます。しかし神に仕えるとは、主イエスが人に仕えたように、自分の隣人に奉仕するという意味で正しいのです。

自分が望むそれを求め、それを求めるが故に、それを与えていく・・・。

人間であれ、信仰であれ、成熟とはそういう方向性を持つものであると思います。

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