受難週を終えて

毎年、受難週には早天祈祷会を守っています。今年は、聖書日課で、ローマ書、ガラテヤ書、エフェソ書、コロサイ書の書簡をテキストとして与えられました。全てに共通したテーマは「和解」でありました。

神から人間に和解の手を差し伸べて下さった恵みに感謝し、私どもも自ら隣人に対して和解の手を差し出して行くものでありたいものです。そうでなければキリストのご受難と十字架は空しいものに終わってしまいます。

受難週は、キリストのご受難と十字架を憶える時です。しかしそれは脳裏でその苦しみを想像することではなく、またその苦しみの一端を共有するために禁欲的な生活を送ることでもありません。受難週はキリストの十字架を空しく終わらせないために特別に過ごす時であると言えます。

受難週は和解の時です。神からキリストの十字架によって和解の手を差し伸べて下さった恵みに応える時です。それは腸が煮えくり返るような苦痛を伴うかもしれません。しかし、そうであるが故に神の愛と恵みを味わい知れるというものです。

かくしてキリスト者は復活の朝を迎えるものでありたいものです。

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