存在意義

今朝の新聞(東京新聞)によれば、公明党は集団的自衛権の行使容認をめぐり、憲法解釈の変更は受け入れられないとする態度を固めたようです。

公明党のホームページによれば、

「公明党」は、<生命・生活・生存>を最大に尊重する人間主義を貫き、人間・人類の幸福追求を目的とする、開かれた国民政党です。

と記されています。

集団的自衛権の解釈改憲に対する態度は、公明党にとって自身の存在意義に関わる問題です。

人間は存在意義を失って生きていくことは出来ません。別の言い方をすれば大義名分を常に必要とします。

今回、公明党が解釈改憲に反対の立場を取ったのは、真に憲法9条の精神を貫こうとする決意から来るものであるか否かということは、この一週一言の関心事ではありません。

私は、公明党が掲げる党の大黒柱とも言える方針に対して、その節操を守った点を高く評価するものです。

 

人間とは本来、その存在意義を揺るがす局面に立たされた時、おおよそ三つの選択肢があると考えます。

1)方針を変える。

2)方針を貫く。

3)方針と現実の矛盾を埋める。

私は、1)と2)はあって良いと思います。方針を変えるとは、自ら変わる事です。自ら変わり、また2)変わらないことによって、世に対する存在意義を守ることができます。

しかし、第三の選択は欺瞞です。変わることも出来ず、方針を貫くことも出来ない。その矛盾を埋める都合の良い解釈(言い訳)によって偽りの存在意義を飾ります。

私たちにもキリスト者としての存在意義があります。そして常にその存在意義が問われ決断を迫られています。捨てるか、貫くか、騙し通すか。

変わることは出来ず、(そこまで)騙すことは出来なかった今回、公明党が貫いた解釈改憲反対の姿勢を私は評価するとともに、創価学会が宗教団体としてその節操を(首の皮一枚)守ったことに、同じ宗教者として敬意を表するものです。

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