「日本基督教団 新任教師オリエンテーション」を振り返り 瀬山一郎

6/16-18、私は教団の主催する「新任教師オリエンテーション」へ参加しました。

この新任教師のオリエンテーションは教団主催で新たに教師になった者を集めて宣教課題の共有や教団組織の理解を深めるために毎年二泊三日、天城山荘にて開催されています。

今回の主題は、「教団教師として宣教を共に担う」でした。

参加する数週間前に孫裕久牧師や諸先輩から「空中戦だけはやるなよ」との忠告を頂いたことを思い出しました。私の不器用な性格を心配してのことと思われます。

あれこれ考えても仕方がないとまな板の鯉になったつもりで出かけました。

私はこのオリエンテーションを通して得たい目的がありました。それは、出身神学校だとか、教会の立場、カラーを超えた繋がりの糸口だけでも見出そうというものでした。たった数日で何ができると言われたことがありました。手ぶらじゃ帰らないぞと、思いました。私は就任式の時にお話ししたことがあります。それは「一人一人がイエス様だ、一人一人にイエス様が重なっている」と言いました。それは、今も変わりありません。

神学校時代、東京神学大学のある学生とその友達数人、日本聖書神学校の学生数人で食事会を持っていたことがあります。年に数度でしたが、その付き合いは、今も続いています。

確かに座学ではムッとしたこともありました。「教区は教団が置いたものだ」と言われました。わたしは、教師だけではない一人一人が教団だと考えています。

「戒規は教会的機能が損なわれた時に発動される、決して排除を目的としたものではない」と聴きました。本当でしょうか。こんな話を挙げていても腹がたつのでこの辺にします。

でも、一日のスケジュールが終わり、野外で煙草を吸いながらホールでお茶を飲みながら眠気を忘れて立場の違いをもちながら、腹の内を話すときが持てました。ある教師委員の先生とも膝を突き合わせて語らいが持てました。その委員の先生は、「以前は各個教会で、教区で、きっちり治められていたことが、教会は、教区へ教区は教団へ、あるいは教区を飛び越えて相談や問題が挙げられてくる。牧会現場を持った今の自分たちでは、到底対応できないよ。教団の弱体化なんだよ。」それで、体質強化したいというのです。それは「数の伝道」をしろということなのだろう。わたしは全否定はしません。教会を支える人が必要だと思っています。

その伝道は、その人に向き合いその人の抱えているものとも向き合うことだと考えています。だからこそ、リフレッシュかながわがあるし、様々な社会の取り組みがあると考えるのです。でもそれを支える人が必要なのも事実です。結論など出せるものではありませんが、

互いの立場が微かですが、縮まった気がしました。まな板の鯉と言いました。しかし、今回のオリエンテーションを通してそれぞれの一致、教団の看板を背負って行くという熱気を実感した期間となりました。一人一人にイエス様は重なっていたのです。

最後の教師委員の後評に「例年にない心強さを感じた。」これは決して美辞麗句ではないと私は信じています。

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