イエスの死後、隠れて怯える弟子たちには、かつてイエスと共にエルサレムに入場した時の勇姿は見る影を失っていた。
一同が一つになって祈っている時、炎のような舌が一人一人に与えられ、突然イエスを証し始めたというのが聖霊降臨(ペンテコステ)の事件であった。
それが何時であったかは重要な問題ではない。大切なのは、イエスの死後、語ることが出来ない状況に置かれていた点である。彼らは明らかにマイノリティーの状況にあった。マイノリティーは隠れている。しかしその隠れることを辞めた事が重要なのである。
聖霊とは何であろうか?あの炎のような舌の正体は何であったのか?
大阪朝鮮高級学校ラクビー部を舞台にした映画「60万回のトライ」を観た。映画の中で、ソンセンニムは選手たちに、試合に勝つことだけが目的ではない、君たちはラクビーというスポーツを通じて日本とコリアンの交流に寄与している。難しい言葉で言えばそれは「使命」だ!。私は込み上げる涙を抑えることが出来なかった。在日朝鮮人としてこの日本に生きるマイノリティー性を「使命」という積極的な言葉で復活させた。
聖霊とは使命を与えられることである。更に言えば、その使命を与えられるのはマイノリティーである。ペンテコステとは、使命を与えられたマイノリティーが喜びを持って語りだした事件である。それは今日もそして明日も聖霊は降り注いでいる。そして、神の声はそこから聞こえてくる。
抗いようのない強大な社会の空気に押しつぶされている時、祈りましょう。御霊よ降れと祈りましょう。キリスト者がキリスト者足りえるのは、聖霊の導きなしにはあり得ないのですから。