昨日、鎌倉雪ノ下教会で、東日本大震災被災支援の報告会が開催され、3・11の記憶を呼び覚ましました。地震と津波そして放射の汚染という三重の災害がもたらした傷跡は深く、震災関連で命を奪われる人が後を絶たず、未だ多くの方々が、避難生活を強いられています。
報告を聞きながら、放射能汚染という非常事態の中で物心を覚えていく幼い子どもたちの事が気になりました。今回のリフレッシュ@かながわでも、マスクを常用する子どもがいました。彼らにとって放射能汚染から身を守ることは日常であり、そういう世界に彼らは生まれたのです。
私が生まれ育った在日の家庭は日本社会において変わった世界でした。しかしその環境で生まれた育った子どもには、それが日常なのです。この河原の街で生まれた子どもたちも然り。
しかし、その常識的な日常は、実は非常であります。また放射能で汚染された現状を非常であると認識し得るのは、それ以前を知っている我々大人であって、3・11以降に被災地で生まれ、またも物心を覚えた子どもたちにとっての現状の感じ方は、究極的には我々大人には解りえないと思います。
彼らが大人にって、福島の放射能汚染と、その汚染の日常で身を守ってきたことの相対化を迫られる時が訪れます。それは在日の子どもが、「ここは日本で、自分は朝鮮人である」ことを偏見と差別の中で受け入れていったように。
やがてその時が訪れるであろう、その時がどんなものに成るかは、分かりません。でも、その時が来るのは確実であります、放射能汚染による健康被害から身を守ることだけでなく、その時に備える研究や環境の整備も復興の大切な営みであると感じました。