民主主義の自覚

先週、ノーベル平和賞の受賞が報道される中、国内では特定秘密保護法の施行令案と運用基準案が自公与党で了承されした。また日米ガイドライン(改定)の中間報告の中で、集団的自衛権を前提とする自衛隊参加の「地理的歯止め」が削除されました。

言うまでもなく、特定秘密保護法と集団的自衛権はセットであって戦争できる国造りの基礎であります。しかし国民が目を向けたがらないのは、それが経済成長の手段であるという点にあります。「その先に豊かさがある」という期待を維持しながら政府は着々と法整備を進めています。

パキスタンでは女性や子どもの教育を受ける権利が十分に保証されおらず、女子教育などを禁じる反対運動もあって、今回ノーベル平和賞を受賞したマララさんはその銃撃の的になりました。

元来、民主主義は民衆運動によって流された血が獲得して来たものであり、権力の暴走を監視する責任を負っております。しかし日本は敗戦によって与えられた側面が強くその責任が希薄なのかもしれません。

民主主義は、手続きに手間を掛けさせます。しかしその手間が権力の暴走を監視しています。特定秘密保護法は手間を掛けずに、議論を省いて事柄をすすめることを可能にします。厳しく言えば、そうさせているのは国民自身なのかもしれません。経済を優先するあまり、手間を省こうとしているのです。

銃弾を浴びながらも女性や子どもの教育を受ける権利を訴える17才の少女へ賞賛と、反対運動勢力への非難の声が聞こえてまいりますが、日本に生きる私たちは先ず以て民主主義の尊さと責任に対する強い自覚が求められているのではないでしょうか。

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