時はB.C.597年 エホヤキンと他のユダの指導者たちがバビロニアに捕囚として連行された時のことです。(第二期バビロン捕囚)
エレミヤは良いいちじくと悪いいちじくの幻を見ます。良いいちじくは救いを、悪いいちじくは裁きを意味しました。そして主はバビロニアで捕囚となった民を良いいちじくのように、幸いにもエルサレムに残った民を悪いいちじくのようにすると告げます。
捕囚の民はバビロニアで自らの罪を悔い改め、律法を順守し神の許しを請いました。一方、エルサレムには楽観主義がはびこっていました。
今月、沖縄の知事選は、自民党推薦で辺野古への基地移設を推進する現職を退ける結果となりました。これは経済振興に勝るものがあるという叫びの結実であり、これこそ厳しい状況下で解放を祈り求める良いいちじくに他なりません。
一方、解散総選挙を目前に大和の有権者は何を見つめているのでしょうか?安部首相は今回の解散総選挙を、アベノミクスを推進するか否かを問う選挙と位置づけています。即ち経済最優先ですすめる事の是非を問うています。経済は人々の生活に直結した大切な問題です。しかし基地問題・原発・被災地復興等、そういった一部の人々が負担を強いられている諸問題を後回しにするなら、ましてそれが経済成長に必要だというなら大和は悪いいちじくになってしまうでしょう。
いちじくの木は実が成るまでとても時間がかかるとのことです。しか、いちじくは実ると直ぐに腐ってしまいます。良いいちじくが実るには時間がかかり、悪くなるのは一瞬であるというのが、エレミヤの見た幻の意味でした。
人の生活から実が結ばれるまでには時間がかかります。ユダの民がバビロニアの地で長い時間を過ごし、それでようやく神の御心をを知ることができたように、時間はかかるかもしれませんが、目先に囚われない希望を指し示す選挙結果を期待してやみません。
沖縄につづきましょう。