待ってました!!

「待ってました!!」

瀬山一郎

僕は、古典芸能が好きです。現在では、劇場やコンサートで演者が登場したりすると観客は喝采という行為をします。これは、観客が演者に対しての期待を表す行為です。日本の古典芸能では、元来喝采というものは、ありませんでした。掛け声をかけるのです。
掛け声には種類があります。その中に「待ってました。」という掛け声があります。

それは、演者がここ一番というところで、正面奥の客席から発せられる言葉なのです。
何でそのような掛け声をかけるのでしょうか。お芝居は待ってなくても、どうしたって演ずるのです。しかし、「待ってました」ということによって、観客の演者に対する期待が演者に伝わり、演者にも気合いがはいるといった相乗効果があるからです。
待ち望むこと、それは、イエスの誕生も待ち望まれたことでした。

第二週の礼拝説教のお話は祭司ザカリアに神の天使が洗礼者ヨハネの誕生を告げられるお話でした(ルカ福音書1:5-25)。

祭司ザカリアとその妻エリザベトは子供が与えられず歳を重ねていました。

ザカリアとその妻エリザベトは、正しい歩みをしていましたが、子供が与えらえていないということで、神からの祝福に預れない者、隠れた罪を持つ者と、当時のユダヤ人たちは見ていたようです。ザカリアが聖所に入り香を炊く務めをしていると天使が現れ、洗礼者ヨハネの誕生を告げます。ここには二重の喜びが告げられました。

まず、「あなたの願いは聞き入れられた」でした。それは子どもが与えられていないことからくる辱めを取り除かれるということでした。ザカリアとエリザベトにとってそれは、悲願でした。更には、イスラエルの救いのための神様の任務を担う者とされて民全体の全体の喜びとなることでした。しかし、ザカリアは信じられませんでした。「何によってわたしはそのことを知る事ができるのでしょうか。わたしは老人ですし、妻も歳をとっています」と、ザカリアは天使に聞き返してしまいました。天使の言葉を素直に受け入れて「待ってました」と言うような気持ちになれなかったのです。それは、決してほめられたことではありません。

ザカリアは、天使により子供が生まれて名をつけられるまで口がきけなくなりました。

神はそのようなザカリアと妻エリザベトに子を授けました。エリザベトの言葉、「主は今こそ、こうして、わたしに目を留め、人々の間からわたしの恥を取り去ってくださいました。」

(ルカ1:25)今、世の中を見るときに安倍総理の圧勝により更に貧困格差が生まれ、戦争をいつでも起こせる状況に進んでいます。それだけを見るのなら右も左も真っ暗です。

ヨハネの誕生はザカリアとエリザベトにとって、「喜びであり楽しみ」(ルカ1:13)となりました。そして多くの人もその誕生を喜んだのです。(ルカ1:14)神を信じることができない私達の弱さを知っていて、心に留められます。それはこの物語の延長線上にある十字架の出来事だと僕は信じています。十字架の出来事とは、私達の弱さや世の中の暗闇を一切引き受けて死んだ主イエスの出来事だと僕は信じています。それは命であり、希望の光です。

クリスマスを迎えた新しい年、この神の業を信じてイエス・キリストの神様に「待ってました」と言い続ける一年にして行きたいと僕は思っています。

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