神の救いの歴史に参与する

新年明けましておめでとうございます。

本年は川崎戸手教会にとって大きな決断を迫られる年になるかも知れません。しかしどのような事態になろうと、常に教会が歩むべき道は神の救いの歴史に参与する事であります。

第二イザヤ(51章)はバビロニアでエルサレムへの帰還を躊躇する捕囚民に3つの事を示しました。

1)約束の起源(アブラハムとの契約)

2)約束は必ず成就する

3)人の嘲りを恐れるな

これは信仰の旅路で躊躇した時、自らの歩みの本質を再認識するための重要事項であります。故郷への帰還は嬉しい事ではありますが、エルサレムは荒廃しゼロからの再出発になります。その厳しさに比べるなら、隷属しながらも現状が心地良いと思ってしまうのは人間の弱さであります。その人間の弱さに寄り添うのが神であることには違いはありません。しかし一方で信仰者というものは常に神の救いの歴史に参与する存在であることを忘れてなりません。

大切なことは神のみ心を常に尋ね求め、約束を信じ、人の嘲りを恐れず今日を生きることです。このヨルダン寮の最後の時まで、神は川崎戸手教会をこの地で用いられます。そして、その時は神がお決めなることであります。この一年、第一にその信仰を大切に忘れる事のないように。その上で、この地の最後の務めを果たして参りましょう。

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