大義名分(たいぎめいぶん)とは、儒教に由来する考え方で、本来は臣下として守るべき道義や節度、出処進退などのあり方を指した。今日では転じて、「行動を起こすにあたってその正当性を主張するための道理・根拠」を指す事が多い。(出典:Wikipedia)
そもそも、行動を起こすにあたってその正当性を主張しなければならない必然性とは何か?東日本大震災の被災地へ救援活動に向かうのに大義名分など必要ありません。しかし、それが救援活動であれ自衛隊が海外に派兵されるには大義名分が必要となります。その大義名分として先週衆参本会議で「テロ非難決議」が可決されました。
2003年イラクが大量破壊兵器を保有していることを理由に(実際は存在しなかった)アメリカ、イギリス軍がイラクを攻撃しました。戦争は悪です。しかし大量破壊兵器が使用されると大変な事態になるので、それを阻止するためという大義名分で戦争という悪い手段を用いました。ようするに今日大義名分とは、今行おうとしている悪は、それを上回る更なる悪を阻止するために致し方ないという、自らの悪を正当化する理由であります。言い換えれば大義名分は殺人を許可するのです。
今政府は、二人の日本人殺害による悲しみと怒りへ呼応するように「テロ非難決議」を可決しました。しかしこれは被爆国である日本が核兵器廃絶を訴えるのと訳が違います。戦争で平和を実現できないことを人類は既に知っています。
今後、テロや領土問題等を利用して国民の敵意を煽り、大義名分の拡大が加速していくでしょう。我々はこれに抗わねばなりません。そしてこの大義名分への抵抗は孤独との戦いを避ける事が出来ません。しかしこのような孤独においてこそ私たちは真に己と出会い、そして神と出会うのでしょう。
「あなたがたに言うが、もしこの人たちが黙れば、石が叫ぶであろう。」
ルカ19:40