「過去に目を閉ざすものは現在にも盲目となる」
「荒れ野の40年」と題し、戦後40周年に連邦議会で演説した統一ドイツ初代大統領ワイツゼッカー氏が昨日(1/31)、死去した。
その翌日未明、即ち本日、人質として捉えられていた後藤健二さん殺害のニュースが報道された。
それが直接的であれ間接的であれ、戦争に参加するという事はこのような事態に直面していくことを我々は明確に自覚せねばならない。例えそれが「人道支援」であると強調しようとも、それは国益をもたらす投資であり故に戦争とはビジネスであり、その危険なビジネスに関わることを日本国憲法は許さない。
にも関わらず我が国の首相はテロとの対決姿勢を演じ、これに乗じて邦人救出のためとの詭弁で自衛隊の海外派遣を論じ始めた。 何故、我が国の政治家は過去に学ばぬ斯くも愚かなのか?それともこの愚か者を放置する真の愚か者が他にいるのか?
今期通常国会において、政府与党は今回の邦人人質事件を最大限に利用し、且つ景気回復という人参を吊るして改憲に向けて大きく前進していくことでしょう。
今こそ、ワイツゼッカー氏の言葉に耳を傾けよう。過去に学び、再び同じ過ちを繰り返さないように。それはデフレから脱却し景気回復を願う者してみれば愚かな道かもしれない。しかし、
「神の愚かさは人よりも賢く。神の弱さは人よりも強いからです」コリントⅠ1.25
それが滅び行く者から見て愚かに見えても、神の愚かさは人よりも賢いならば、神から見て真に愚かなる者の嘲りを恐れず、神の愚かさに徹することが平和を実現する道ではなかろうか。
「彼らは剣を打ち直して鋤とし、槍を打ち直して鎌とする。国は国に向かって剣を上げず、もはや戦うことを学ばない」イザヤ2.4
そのように予言したイザヤも愚か者と嘲りを受けたことでしょう。ならば今こそキリスト教会は神の愚かさに行きようではないか。例え今愚か者と言われようと、次の時代に人間として誇らしく語れるように生き、そして死にたいものである。
祈ろう明日を、この地上にこそ希望を♪
人みな、時代から時代へと、誇らしく語れるように、そんな世界を私は求めて行く♬
宝塚歌劇 王家に捧ぐ歌−オペラ「アイーダ」より