命を捨て、命を得る

人間には自分の命よりも大切なものがあるでしょうか?死の恐怖を知らぬものが、それを語れば絵に書いた餅です。私は死を覚悟してまでイエスに従うことが出来ません。それは身を引きされそうな苦しみですが、大祭司邸の中庭でイエスを否んだペトロのように、(それより)私も自分の命を救ってしまうでしょう。

自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのために命を失う者は、それを救うのである。(ルカ9:24)

イエスのいう「それ」とは何でしょうか?文脈上それは「命」の事を指していますが、「命を救い命を失う」また「命を失い、命を救う」とは意味不明です。

「それ」とは、主イエスとの関係です。キリスト者にとって主イエスとの関係こそが命に勝る真の命です。言い換えればキリスト者にとって主イエスに「私はお前を知らない」と言われるのは死の宣告に等しいのです。

では、主イエスのとの関係とは何でしょうか?それは主が愛された存在全てです。とりわけ悲しみ苦しみ虐げに苛まれている人々です。主は生きておられます。残念ながら命がけとまでは行きませんが、隣人の為に自らを用いていこうする営みの中で、自らの限界と矛盾を知らしめられつつ、私どもにとって真の命なる主イエスとの関係を求めて参りましょう。主の導きを祈りつつ。

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