神奈川教区沖縄教区との交流を探る旅
・・・悔い改めの3泊
瀬山一郎伝道師
私にとって、今度の旅は決して楽しいものではなかった。
以前、平良修牧師の講演で。「基地建設が何で沖縄なんだ」という一言がわたしの中に
こびり付いている。
沖縄以外にも米軍基地はある。教区のオリエンテーションで横須賀の基地を船上から遠望し、説明を受けたことがある。それは用済みになったところから随時返還するという約束なのにも関わらず、ほとんど使われていない施設が、未だ変換されないだけではなく、その使われていない施設の莫大な維持費を国費で賄っているという。
米軍兵士の犯罪が後をたたないことも聞いている。でも、それを他所事のように見ていた自分だった。座間基地反対のバスストップの会の活動にも参加したけれども、当事者意識が欠如した自分だった。沖縄入り初日、沖縄教区議長と何人かの牧師教会員を招き懇談会をもった。議長の最初の一言「わざわざ沖縄に来ることはない、何をしにきたのか?」と言うような内容の言葉がわたしの中に突き刺さりました。それは、あなたたちのするべきことがあるでしょう。というものでした。そう私はやっていたフリをしていたのだ。
自分の立ち位置と言いました。「主の平和」口で言うのは容易いでしょう。わたしは、沖縄へ非難されるであろうことは覚悟して行ったのだけれど、その覚悟を上回る傍観者、フリをしてきた自分への反省、嫌悔い改め住宅地に挟まれオスプレイの墜落にさらされている人々を遠くに傍観視していた自分、自分の主体のなさにへきへきとなり、心身追い詰められ
美味しい食事が喉を通らず、3泊眠れない日々を送りました。結果たどり着いた今時点のわたしの結論、「何で沖縄何だ」の言葉は「何で座間なんだ」「何で横須賀なんだ」と自らの声をあげて祈り実行することそれが、3泊日から得た悔い改めの結果でした。主体を持って「主の平和」を祈り諸集会に臨んで行きたい。