4月16日の礼拝説教で、私は以下のお話をしました。
「復活のイエスが弟子たちの前に現れて、魚を食べることにより命に向き合うことを教え、
弟子たち、そして、わたしたちをも、その食卓に招いている。それは、自分の命に向き合うだけではなく互いの命に向き合うこと、互いを大切にすることだ。」というお話でした。
それは、み言葉に聴いたことであると共に川崎戸手での活動を通じて教えられたことでもあるのです。
川崎戸手教会は川岸の教会として人々と向き合い、その人の背景にある社会とも向き合い行動をしてきています。それこそが戸手の伝道だとつくづく思っています。
先々週でしょうか。言葉が無力になっているという説教がありました。言葉よりも行動だと言うのです。今、戸手教会は移転ということを通じて揺さぶられています。この先どうなるのだろうか牧師館のこと会堂のこと不安を感じている人がいるかも知れない、だから、こそ、わたしたちはイエスの食卓について互いの命に向き合い支え合う行動を起こそうではありませんか。先を見据えることは大切。でも今、目の前に川岸の教会が与えられていることも事実だし、今できる行動が尚更大切なのではないでしょうか。
イエスが私たちを命の食卓に招いたように私たちは、これからも支えを必要とする人との関係を持ち続けようではありませんか。それこそがキリストの福音だと私は信じています。聖霊だと降臨節を迎え、私たちを食卓に招き、命と向き合って行動したイエスのように私たちも互いに支え合い行動をもって一週間歩んで行きましょう。