先週、祖父の40回忌で大阪に帰省しました。その時、機内の雑誌に牧野富太郎(1862-1957)という植物学者を紹介する記事があり、それを読み入ってしまいしました。初めて知る名前ですが記事の内容から相当有名な学者だという印象を持ちました。雑誌を持ち帰るのを忘れたので衰えた記憶に頼りますが、当時日本では植物に関する学書は薬草に限られていたとの事です。したがって薬草以外は全て名も無き雑草でした。
牧野は子どもの頃、学校ではろくに勉強せず一人で山に行き、草花を観察するのが日常でした。そして当時、日本では名もなき草々に名前をつけていたとのことです。そんな幼少時代を過ごした牧野は独学で植物を学び、やがて東京帝国大学で研究を許されるようになったとのことです。
そんな牧野いわく、名も無き草々を見ていると、その細かな違いや個性、そして美しさに気付かされる。そしてその草に名を与え、初めてその草との関係が始まるのだと・・・。
そんな牧野の言葉に触れて、私は人間も同じだと思いました。人は誰も、自分にとって興味のないその他のジャンルを持っています。そしてそれは一括りで「その他もろもろ」という引き出しや場合によってはゴミ箱に捨てられています。もっとよく見れば、そこには個性や美しさがあって、更に良く見ていけば、他との違いがハッキリと見えてくるようになります。
人間は簡単に他者にレッテルをはり、そのレッテルでまとめます。キリスト教会も然り、出身神学校、教派やグループ。その所属で括り、興味のない括りをその他でまとめ、時には偏見を持ちます。
牧野富太郎の記事を読み、全てに置いてもう少し丁寧に見て行かねばと思いました。そして違いの分かる人間になりたいと思いました。
その雑誌には牧野の死後、彼の意志を継いで造られた植物園が四国にあり、それが紹介されていました。行ってみたくなるような内容でした。