「たなら」

自民党若手議員勉強会でのマスコミ・メディアを言論統制する発言をめぐり、党の総裁である安部首相の姿勢が注目されています。他人事であり、しかし公明党には陳謝したり、そして昨日、ようやくの謝罪が「・・・傷つけたなら申し訳ない・・・」といういうものでした。

たなら、とは何でしょうか?

それは、全く悪気はなかったのです。あなたの足を踏むつもりなど全くなったのです。ただ、たまたま私の足が進みゆく所にあなたの足があって、不幸にも「この私の足というやつが」、あなたの足を踏んでしまったようです。痛かったですか?もし痛かったなら、申し訳なく思います。

という態度が「たなら」の正体です。即ち相手の痛み、その痛みを与えた主体とその自覚が完全に欠如しています。

何故、このような謝罪になるのでしょうか?それは「立場」を守るためです。他人の痛みより、また壊れた関係を回復する事より自分の立場が大切であって、その立場が守られた範囲で人は全ての言行を取捨選択します。

安倍首相を避難していますが、実は立場を守ろうとするのは私たちも同じです。社会性を帯びた人間には立場存在ます。しかしその立場が人間関係や平和への共生を阻害したり、またその立場が和解を邪魔立てするなら、そんな立場はドブに捨ててしまいましょう。

立場に固執するあまり関係を貧しくするなら、それは、お金はあっても友がいないようなものであって、人生を味気なくしてしまうものでは無いでしょうか?

恐れ、価値、妨げ、立場、それらを乗り越えたところ、また逆転したところに神が備えたもう豊かな恵があります。そしてその恵へと導き招くもの、それが聖霊の働きであると信じて・・・。

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