体験は経験化されねばならない

1942年6月26日早朝、ホーリネス系の教職者96名が最初に検挙されました。

これを受けて教団は、「軽々しき行動を慎み、暫く成行きを静観すること」「皇国民たるの自覚に立ち、臣道の実践を志すこと」を求めました。そして「彼らの熱狂的信仰は我々教団では手の下しようもないくらい気違いじみているため、これを御当局において処断して下さったことは、教団にとり幸いであった。」と日本基督教団の幹部らは、当局のホーリネス検挙を歓迎しました。

これが第二次世界大戦中にホーリネス系の教会が政府から弾圧された事件であり、日本基督教史上、プロテスタント教会に対する最大の迫害であると同時に、教団が政治的歴史的において犯した戦時中の大罪、即ち戦争責任です。

6月の教区総会に来賓としてお迎えした日本ホーリネス教団の上中牧師はその祝辞の冒頭で、間違いや失言を犯した場合、謝っておきさえすれば良いという形式的な謝罪(物分りの良すぎる自己批判)と、間違いを犯しても、神に愛されているという穏やかなところからそれに気づかない(物分りの悪すぎる自己肯定)でいる昨今の風潮に触れ、結びに「もし日本がかつて来た道に戻っているとしたら、我々キリスト教会も同じく戻っている筈なのであって、キリスト教会だけが常に真理を保持し正しい道を歩んでいる訳ではない」とお話されました。

日本基督教団は日本ホーリネス教団に謝罪し関係は回復されましたが、謝ったから完了済みだと油断していると、時代の変化に流されている事の自覚を欠き再び同じ過ちを繰り返すものだとご忠告下さったのだと思います。

反省は常に現在化されねばなりません。それは、かつての状況とその状況の中で犯した過ち(事件)を重ねあわせる事によって導き出される普遍性です。森有正が「体験は経験化されねばならない」と言ったのは正にその事であると思います。体験は過去のものですが、経験は現在と未来のものです。その経験を欠くならばやはりキリスト教会はかつての同じ過ちを繰り返すことになるでしょう。

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