修養会に参加して・・・ 川崎戸手教会の歩みを通して 瀬山一郎伝道師

「修養会に参加して・・・川崎戸手教会の歩みを通して」瀬山一郎伝道師

 先週、7月19日と20日の一泊二日、川崎戸手教会の修養会をここ教会のあるヨルダン寮で行われました。内容は川崎戸手教会の歩みを振り返り、また、これからの川崎戸手教会について考え話し合うというものでした。

川崎の京浜工業地帯に働き、この川岸に住まざるおえなかった人々、その多くは在日朝鮮の人々でした。その人々によって川岸に街が形成されました。

当時、開拓伝道をしていた関田寛雄牧師により土手の向こうにあった伝道所を現在の川岸に移したことに始まり、川崎戸手教会は川岸の教会としてその地域の人との歩みがはじまったのです。

初日の夜、戸手教会の歩みを振り返る作業をしました。川崎戸手教会の歩みをスライド写真と年表を照らし合わせて年表の空欄を一人一人の記憶を元に埋めてゆく作業でした。それぞれの時代にどんな人がいたのか、少しずつ空欄が埋められてゆきました。こうした事を時系列に埋めてゆくと、パズルのように歩みの全貌が浮かび上がって行くのです。

私は、讃美歌の一節を思い出しました。

「神は、われらの叫びをきき、なみだをかえて歌を歌わん。」(讃美歌21:390番:3節)

神は確かに悲しみに叫ぶ声をきいてくださり私たちの手を通して業を起こされたと私は信じています。「なみだをかえて歌を歌わん」とは、価値観の変化だとわたしは考えます。

川崎戸手教会の建物(ヨルダン寮)は、ぴったり戸が閉まるところがないと言われます。普通なら綺麗な教会が良いと思うでしょう。でもそんな教会が好きになりました。でも、週に一度の日曜日、わたしたちはここに集い礼拝を捧げます。

ここに来ることによって一週間の生きる力、糧を頂きます。川崎戸手教会にはこれから大きな変化があることでしょう。どんな形になってもこの川崎戸手を持ち続けて継承して行きたいものですね。

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