それを実行しなさい

しかし彼は自分を正当化しようとして「では私の隣人とは誰か」と言った(ルカ10.29)。これは直訳すると「彼は自分を義とするために・・・」となります。ここで彼(律法の専門家)は矛盾を抱えます。そもそもこの議論は何をしたら永遠の命を受け継ぐことか出来るか?であり、言い換えれば「如何にすれば神に義と認められるか?」であります。

人を義と認めるのは神であるにも関わらず、またその趣旨に基づく質問をしたにも関わらず、彼は自分で自分を義とする事に転じました。これが矛盾です。

これは宗教者に顕著でありますが人間一般に広く認められる落とし穴です。愛について、また平和について議論する時、いつの間にか人は自分の正当化(自分で自分を義とする事)に熱心になってしまいます。

近日、戦後70年の首相談話が発表される予定ですが、近年日本は未来志向と言いながら過去の歴史に拘ります。真に未来に向かって平和な新しい関係を育みたいのであればイエスの言うように「それを実行しなさい」。にも関わらず過去の歴史(正当化)に熱心になり、そこに侵略という言葉を入れるべきか否か、入れないで済む方法はないか?等と四苦八苦する事自体がそもそも未来志向ではないのです。

未だ過去を総括しえずに囚われたままです。それは過去と真摯に向き合わず過去の正当化に熱心であるが故の帰結であり、結果として真に未来への一歩を踏み出せないのでいるのです。

最早「自分が義であった」とする過去の弁明(正当化)はどうでも良いのです。素直に「自分の罪」を認めましょう。神を愛し、隣人を自分のように愛していく上で「自分が如何に正しかったか?」等というくどくどした正当化(言い訳)は何の役にも立ちません。寧ろその正当化が隣人を愛すること平和を実現することを阻みます。

この8月、今一度主イエスの「それを実行しなさい」「あなたも行って同じようにしなさい」という言葉に耳を傾けましょう・・・ではなく、それを実行していきましょう。私たちも行って同じように致しましょう。永遠の命を受け継ぐために、神の国の実現の為に。

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