未来像

一昨日、公表された戦後70年首相談話の結論(言いたかった事)は「集団的自衛権の行使」は戦争行為ではなく「積極的平和主義」に基づく平和活動であるという事でした。今後は、これは戦争であるか?平和活動であるとか?という解釈論になっていくでしょう。

一昔前は過去を踏まえず未来は語れない。未来だけを論ずるものは同じ過ちを繰り返すと学びました。したがって過去を如何に総括すべきか?真摯に歴史に向き合えるか?そこが重要視されてきました。しかし今回の首相談話を通じて感じたのは、過去と向き合う前に自らを過去と向き合わせた未来像が既に存在しているという事です。

それはワイツゼッカー氏の未来に対する積極的な意志(ユダヤ人との心からの和解)が彼に「荒野の40年」を語らせたように、等しく「自国の為」に戦争できる国づくりという安倍首相の未来像が既にあって、それが今回の首相談話の結論を道いびいています。

自由主義史観の本性が見えたように思いました。自由主義史観の自由とは歴史をどう見るかについての自由ではなく、どんな未来を生きたいか?それは人間それぞれ自由ではないですか?という事で、その抱く未来を実現すべく過去を総括します。未来は過去に支配されるのではなく、過去こそがその自らが抱く未来に支配されているということでしょう。

しかし我々は確かに自らの抱く未来像から歴史と向き合っているにせよ、歴史そのものから可能な限り主体性を奪うこと無く歴史と対等に対話するよう努力していきたいものです。何故ならそのような対話こそが、その未来像たるものが自己満足なのか?隣人のためなのか?を明らかにしてくれるからです。

歴史を未来の道具とするのではなく、歩まんとする未来のアドバイザーとして真摯に対話して参りましょう。

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