主の平和・・・この世の富を神の業に用いて行こう 瀬山一郎伝道師

 

私はFacebookに「9月19日未明、あれだけの反対運動にもかかわらず「安保法案」が参議院で可決してしまいました。「『戦争はしない』という、70年間守って来た国内外の信頼が踏みにじられた瞬間です。」と投稿しました。すると、コメントが来ました。「わかってないなぁ、それが民意なんだよ」

その民意とは何でしょうか。平和は誰でも求めています。

「安保法案」に賛成する理由は様々あるでしょう。ただ言えることは、自分の繁栄が前提の平和ではないかと私は思うのです。

それは、イエスが批判するファリサイ派や律法学者の宗教観と重なるように思えるのです。

ルカ福音書15:1~2節で、イエスが「徴税人や罪びと」と一緒にいた時にファリサイ派の人々律法学者たちが不平を言いだした記事があります。

彼らの宗教観は、神に選ばれ、救いにあずかっている人はこの世でも豊かな祝福を得ていると彼らは考えていたからです。逆を言えば、病気や貧困、その他の様々な問題がある人たちに訪れるのは神の祝福から漏れている証拠だと考えたのです。彼らが徴税人や罪人と呼ばれる人々を軽蔑の目を向けた理由はここにありました。

イエスはこのようなファリサイ派の人々の救いの理解について「否」を唱えました。

安保法案に賛成の人々、自分の繁栄を平和と考える人々に宗教はなくても、自分の繁栄のためだけに努力するという「信仰」があります。ルカはこの世の富を「不正にまみれた富」と言います。

主イエスは「不正にまみれた富で友達を作りなさい。」と言われました。富みに仕えるのではなく神に仕えること、それは弱い人を支える視点と行動こそが、そのために忠実であることが神の平和、戦争をしない平和に繋がって行くのです。私たちは「世」に身を置く者です。

この一週間、主の平和を願い、この世の富を、自分を、主に仕えるために用いてゆきましょう。

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