欲望の芽 〜エレミヤ書34章〜

 

日本は再び戦争の出来る国となりました。どれだけ理屈を並べても古今東西戦争の理由はただ一つ。それは私利私欲です。

バビロニアによってエルサレム陥落を目前としたとした時、南ユダ最後の王ゼデキヤは平和の内に生涯を終えると約束されました。また神の命によって貴族たちは奴隷を解放しました。しかし、バビロニア軍が、進軍するエジプト軍との戦の為にエルサレムの包囲を一時的に解いた時、ゼデキヤは半旗を翻し、貴族たちは再び奴隷を拘束しました。

困難に直面した人間は神に頼ります。神に頼るとは改心し自己の欲望を放棄することです。ゼデキヤも奴隷所有者の貴族らも、その困難な状況において神の前に改心しました。しかし、困難が一時的にも解かれた時、再び欲望の芽が顔を覗かせたのです。そしてその結末は歴史が伝える通りです。

尊い犠牲を払って与えられた長きに渡る平和が、再び欲望の芽を出させたとでもいうのでしょうか。やはり今一度裁きを受けねばならいのでしょうか。

この国が真に民主主義であるならば、民は自らの声を発し行動しましょう。この結果が民主主義の結果に反するというのであれば、政治家の責任にするのではなく、真の民主主義の実現に向けて共に歩み出しましょう。これからが勝負です。

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