「一番上になりたい者は、皆の僕になりなさい。」(マタイ20:27)
瀬山一郎伝道師
この言葉は、エルサレムに行く途中、弟子たちに向けてイエスが語った言葉です。
マタイ20章はその冒頭、「天の国は次のようにたとえられる。・・・」(マタイ20章前1節前半)に始まります。テーマは天の国です。マタイによれば、イエスの語る「ぶどう園の労働者のたとえ」の主人は、朝から働いた者も最後の者にも同じ1デナリオンを「支払ってやりたいのだ」と言います。神の報酬は、人間の行為に左右されない恵みなのだというのです。
冒頭のイエスの言葉は、その実践として語られた言葉です。
その発端は弟子のヨハネとヤコブが、母親を通じてイエスにこの二人がイエスの右と左の座に着かせて欲しいと、願い出たことです。イエスの答えは、「あなたがたは、自分が何を願っているのか、分かっていない。このわたしが飲もうとしている杯を飲むことができる-のか。」でした。その杯とは死に至るほどの苦難を指しています。
イエスの「飲むことができるのか」という問いに対して、二人は「できます。」と答えました。二人は、確かに十二人の弟子の中で先んじて一生懸命イエスに従ってきたのかも知れない、見返りとは、イエスの左右の座に着くこと、支配者、権力を振るう者となることでした。
ヨハネとヤコブがイエスと話しているのを聞いた弟子たちは腹を立てました。
イエスは一同を呼び寄せて命じています。
「あなたがたの中で偉くなりたい者は、皆に仕える者になり、一番上になりたい者は、皆の僕になりなさい。人の子が、仕えられるためではなく仕えるために、多くの人の身代金として自分の命を捧げるために来たのと同じように」。言葉通りイエスは私たちの身代金として、身代わりとなって十字架に死にました。私達は、見返りを求めず支えを必用とするその人に仕えて行こうではありませんか。