根性と勇気と祈り

 

昨日(10/3)、紅葉坂教会で基地問題小委員会と沖縄交流委員会共済による集会(「痛みと重荷を共に」〜沖縄と岩国からの問いかけ〜)に参加しました。

沖縄から高里鈴代さん(沖縄「REICO」代表。基地・軍隊を許さない行動する女たちの会 共同代表。)、岩国から大川清牧師(住民投票の成果を活かす岩国市民の会)を講師としてお招きし、共に基地を抱える問題と現状について講演を頂きました。

高里さんは、薩摩侵攻を「第一の琉球処分」、明治政府による併合を「第二の琉球処分」、沖縄戦→施政権譲渡→米軍占領を「第三の琉球処分」、民意を無視した軍事基地つきの沖縄復帰を「第四の琉球処分」と呼び、今回民主党による公約(最低でも基地県外移設)が失望(やはり抑止力が必要)に終わったことを第五の琉球処分と位置付け、辺野古の現状を語って下さいました。

また、大川牧師からは、米軍厚木基地からの空母艦載機部隊の移転計画をめぐって、岩国市民の賛否を問う住民投票の経緯に触れ、政府の振興策による基地とのしがらみを断ち切ろうとした岩国住民の思いを語って下さいました。

お話を伺う中で、沖縄も岩国においても、政府の負担軽減策が全く軽減になっておらず、その不満を振興策という「飴」で黙らせている構図がハッキリ見えてきました。そして今、この日本全体が安全保障という名の下、アメリカの東アジアの前線軍事基地化され、国民の反対を「景気対策」という「飴」で支持率を維持しています。

安保法案に対して国民の6割以上が反対する中、それと相関しない内閣支持率は一つの問いを「有権者」に突き付けています。もはや「飴と鞭」によって負担を強いられているのは沖縄や岩国等基地を抱える街に留まらず、グローバルな意味でこの日本自体がそうなってしまっているということです。

如何にすれば永遠の命を得ることが出来るのか?(ルカ10.25)その答えを私たちは既に知っているはずです。問題は「それを実行しなさい。そうすれば命が得られる」(ルカ10.28)というイエスの言葉に依拠するならば、目の前にぶら下がった「景気対策」等というまやかしの「飴」に期待を寄せ、頬から涎が沸き溢れて、心底それを舐めたいと思いつつも — 思っても良い、しかし (敢えて信仰とは言わない)―、根性で「舐めない」ことを実行する事ではないでしょうか。それに勇気をもって背を向けることではないでしょうか。今の私はそう思うのです。

そして信仰を持って祈りましょう。

わたしたちを誘惑におちいらせず、

悪からお救いください。と・・・

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