和解の使命

先に手を出したのは何方か?悪いのは何方か?それはどうでも良いこととは思いませんが、テロであれ空爆であれ殺人には変わりありません。戦いは新たな戦いを生むのであって、憎しみは増幅の一途を辿ります。

そして今回のフランスにおける同地多発テロを、ある者は更なる反撃の理由として、またある者は言い訳として、そしてある者はネタとして利用します。即ち憎しみと面子と利権が絡みあいシリア動乱は更に激化していくことでしょう。また、アサド政権による反政府軍への武力弾圧のみならず、単純には説明できない複雑な組織とそれらの利害関係が問題解決の糸口を見えなくさせています。

このような泥沼に日本はアメリカとの軍事同盟から集団的自衛権を発動し、新たな敵意と憎しみの火種を蒔いてしまうのでしょうか?それにしてもやはり、それを望み、それによって潤う輩が何処かにいて、好むと好まざると知らないうちに、私たちはそのとばっちりのみならず恩恵をも受けてしまうのでしょうか。

そう思うと全ての関係を断ち切って荒れ野に逃れたい気分です。しかし人間である以上やはりそこに留まり、不正に塗れた富で飯を食いながらも、その自覚を持てばこそ、私の右の頬を打つものには、左の頬を差し向けて抵抗していかねばならないと思います。

滅び行くものには十字架は敗北ですが、復活の希望に生きるものには勝利であることを私たちは知っています。なればこそ、この河原の教会で、「川崎戸手教会は・・・」ではなく、私自身が和解の使命に生き、その一歩を踏み出して行くことを寝ても覚めても忘れないようにさせて下さいと神に願うばかりです。主の平和がありますように。

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