「好機の誘惑」 エレミ37章

エジプトはバビロン軍に包囲されたエルサムに援軍を送りました。カルデア軍(バビロン軍)は北上するエジプト軍を迎え撃つためエルサレムを一時撤退します。

ゼデキヤ王は、これを好機と捉え南下するカルデア軍の背後を攻撃しようと企てました。そこでゼデキヤはエレミヤに戦勝祈祷を願います(37.3)。 しかしエレミヤは「自分を欺いてはならない」とその願いを拒否しました。

エレミヤは一貫してバビロンに降伏するよう進言してきた預言者です。事実、形勢はエレミヤの予言通りエルサレムは陥落目前です。ゼデキヤ王に楽観的な予言をしてきた取り巻きの預言者らは解任されたのか逃げ出したのは分かりませんが既に王の下にいませんでした(37.19)。

窮地に立たされ一時的にエレミヤの進言を受け入れたゼデキヤではありましたが、カルデア軍の一時撤退を好機と捉えて、是が非でも預言者エレミヤからそれを指示する予言が欲しかったのでしょう。

前週の一週一言で占いについて言及しましたが、ゼデキヤがエレミヤに願いでたのは、その占いそのものです。そもそも王は軍のトップですが出陣の決定権は神にあり、預言者の許可無くして王は自分の判断で軍を動かすことは出来ません。偽預言者らは権力に都合の良い予言(占い)をする者たちでした。エレミヤはゼデキヤに自分を欺くなと避難します。この場合自分を欺くとは、自分の判断が神のみ心であるように思いたいが故に、結論ありきでそのように自己理解する行為であるといえるでしょう。

信仰者は「これは神のみ心だ!」と思いたいものです。しかしよく吟味しないと、それは(人間の)好機を目前に陥った誘惑かもしれません。

Kバルトは「人間の危機は神の好機」と申しました。好機ではなく危機迫るときにこそ、そこに示されている神のみ心を聞き取れる、教会でありキリスト者でありたいものです。

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