不安からの解放

新宿の路地裏に行列の絶えない占い屋があります。先週、その列に並ぶ人々を取材したNHKのドキュメント番組「占いの館 運命の交差点」が放映されていました。

転職、恋愛等、未来を占ってもらうために人々はそこに訪れます。彼らに占いの目的を尋ねたところ、それは未来についての占いというより、既にある自分の思いや計画について、背中を押してもらうため、気持ちの整理をつけるためというのが主な回答でした。そして共通してその背後にあったのが「不安」であります。

人間は誰がしも大なり小なり未来に対する不安を抱えています。しかしその不安とは普遍的なものではなく、その時代や状況の影響を強く受けています。

この日本はある意味平和であり自由であり充足しています。必死に命を守るため、奪われた尊厳を勝ち取るめに闘う必要のない満たされた状況が殆どです。そこには、それを必死に守り、勝ち取らねばならない状況下で生きた人々の不安とは異なる別種の不安が存在しています。例えるならば、視野に障害物が何も見えない状況。故に自分の位置が確認できず、更に見えない地平線の向こう側が気になるという感じでしょうか。贅沢な不安と言ってしまえばそれまでですが、しかし自由と平和と充足の世界に生まれた世代はその自覚が難しく、逆にそれを自覚している世代にとっては、彼らの不安の内実が良く分かりません。

更に貧富の格差は、貧困ではなく格差(比較)に力点があり、他者との比較によって不安が生じます。視野(生活)に障害物を持たない者はどれだけ満たされても、否満たされているがゆえに、自ずと他者との比較が際立ちそこから不安が生じるのでしょう。

聖書では不安を「思い悩み」と訳しています(マタイ6.25-34)。そしてその文脈で「思い悩むな・・・」「あなたがたの天の父は、これらのものがみなあなたがたに必要な事をご存知である。何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい」(6.32-33)とあります。

これを、この日本で不安を抱えながら生きる人々の状況に換言すれば、必要は満たされている、故にその満たされているものを神の国と義のために用いなさい。それが思い悩み(不安)からの解放であり人の道であるといえるでしょう。

これを如何に具体的に伝えるか、伝える前に自らそれを生きるか、それが問題なのですが、私たちに先立ってそれを示して下さったのが他ならない神のひとり子であったことを覚えて主のご降誕に備えたいと思います。

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