「主の言葉」 — エレミヤ書45章 ー

バルクは予言者エレミヤの弟子で、エレミヤの預言を口述筆記した書記でした。

エレミヤは激しい迫害を受ける中、予言者の務めを幾度か放棄しようとします。そのような予言者に仕える弟子も同じくエレミヤへの同行を躊躇したと考えられています。

書記を務めるだけの能力を持つバルクなら高給を得る食いぶちは他にもあります。エレミヤと苦難を共にするか?他に職を求めるか?ヨヤキム王の第4年、南ユダはエジプトとバビロニアの板挟みで混迷を極め、更に師事するエレミヤは投獄されていました。そんな時、自らの進退を決めかねているバルクに下された主の言葉がエレミヤ書45章です。と言っても、その主の言葉を伝えたのはエレミヤ自身でした。ここにはバルクに下された主の言葉であると同時に、バルクを手放したくないエレミヤの思い、更には自分自身が幾度となく予言者の務めを放棄しようした経験が反映されていると考えられます。

バルクを手放したくないエレミヤの思いは、同時に弱腰の自分を喚起する主の思いと重なります。エレミヤにとって、バルクが辞職を思案する気持ちは、自分が予言者を放棄しようとした気持ちと同じであり、それを願うバルクの気持ちに接する寂しい気持ちは、同時に自分が主に辞職を願った時の主の哀しい気持ちに同じであります。

予言者とは常に神と人との板挟みにあるのかもしれません。たとえ神の声を聞くことが出来てもそれを伝え共に生きるのは困難を極めます。しかしその困難は自分の神の声を聞く姿勢に返ってくるのでしょう。伝えることの困難さは、自らの聞く姿勢を問うています。

神を愛することは人を愛することであるように、神に耳を傾けることは同時に人に耳を傾けることなのでしょう。エレミヤがバルクに伝えた主の言葉の中には、預言と人間の思いの格闘があり、主のみ心とは斯くして生起し与えられるものだと再認識させて頂きました。

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