不足という恵み

先週、家庭集会がありました。教会員たちと駅前で待ち合わせ、徒歩で目的地へ向かう道中に高級住宅が建ち並んでいました。個性あふれる様々な建物や庭、門構えを見ながら、何かのツアーに参加しているような楽しいひと時でした。

その時、「お金があったら大体解決しますね。議論しなくて済みますし」と冗談交じりの談笑に花を咲かせておりました。(これはその住宅街に住む人々を揶揄する意味ではありません)しかし冗談ではありますが、それは事実です。

イエスは弟子たちを派遣するにあたり言いました。「旅には何も持って行ってはならない。杖も袋もパンも・・・。下着も二枚は持って行ってはならない」(ルカ9.1-6)

これは、神を頼りとせよという教えです。しかし注意すべきは、神がいるから大丈夫という意味ではありません。それは事実なのですが、それは結果的に導き出される答えであって、それそのものを言いたいのではありません。

イエスの意図は、必要が満たされていると人間は神を頼りとしないという事です。言い換えるならば、イエスは弟子たちが神を頼りとするように、不足という恵みを与えたというのが言葉の本筋であります。

「お金があったら大体解決しますね。議論しなくて済みますし」というのは、新会堂建築の協議と傾いたヨルダン寮と高級住宅を掛けあわせた冗談ですが、しかし冗談ではありますが、それは紛れも無い事実です。

満たされれば議論する事など必要ありません。等しく満たされれば何が神の御心か?教会とはそもそも何か?そんな議論どころか考えもしないでしょう。故に我らは何と恵まれた共同体でしょうか。おそらく日本一恵まれた教会でありましょう。

これは冗談ではありません。しかしこれが事実か否かは、我らの信仰次第で御座います。

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