神奈川教区には「神奈川教区形成基本方針」というものがあります。ここで言わんとしている事を私になりに短くまとめますと、以下のとおりです。
これまで当然のように、同じキリスト者として同じ神を信じ共に伝道し神の国の実現に励んで来たけれども、万博キリスト教館出展問題、東京神学大学への機動隊導入問題等、60年代から70年代にかけて巻き起こった様々な社会的諸問題を通じて、どうやら同じと思っていた事が、同じではなかった、違いあったことに気づいた。即ち一つであったと思っていたけれども、実は一つではなかったことが明らかとなった。そこでその違いに着眼し、先ずもって違うということを率直に認めよう。そしてどちらが正しいかではなく、また違ったままで良いという事でもなく、一致を目指していこう。それを目指していくというのが教区形成基本方針の軸であります。一致させてしまうのではなく、一致を目指すこと事態が結論です。またその結論と同じくらい大切なのが、一致を目指す方法です。その方法が対話です。この対話とは、自らの主張を押し付けるのではなく、むしろ違う相手の考えを関心と忍耐を持って理解していく所に力点が置かれています。違いを漠然と放置するのではなく、本当に何が違うのか?それを明らかにしていく作業は同時に何については共感できるのかを明らかにしていく事に等しいのです。その不断の営みの遥か彼方に真の合意と一致があることを信じて対話していこうではありませんか、というものです。
以上の如くこの教区形成基本方針が求められた背景は、具体的な諸問題を契機にしています。昨日教区総会が開催されましたが、やはり「免職問題」「辺野古基地問題」「うるま市女性暴行問題」等、具体的な議案が上程された時に互いの信仰理解が如実に対立します。しかし残念ながら審議時間が短く上記の如き対話がなされないまま決議するに至っています。
具体的な問題こそが我々の信仰の相違が表出する場であります。それは会堂建築も然りです。問題はいつどの様にして何処にどの様な会堂を建築するかが具体的な課題ではありますが、一方で、その背後にあるお互いの信仰理解、川崎戸手教会とは何か?というものが表出します。そしてそこには違いがあるのです。それを率直に認める時、我々は対話する使命を自ら負うのです。即ち考えの違いが生じる事が問題なのではなく、「違いがあるからこそ関心と忍耐を持って対話していく」それ事態が大切なのです。教会が大切にすべきは其処です。其処にこそ教会が立ちもし倒れもする、(不完全な人間の営みであるが故に避けることの出来ない)全てといって過言でない真理が積まっていると私は信じます。