受胎告知

「見よおとめが身ごもって男の子を生む。その名はインマヌエルと呼ばれる」

(マタイ1.23)

南ユダ王国、アハズ王(在位BC735年 – BC715年)の治世、他国との緊張関係の最中(シリア・エフライム戦争)、預言者イザヤによってアハズ王に告げられたのがインマヌエル預言です。(イザヤ書7.14)

インマヌエルとは、イン(共に)マヌ(我らと)エル(神)で「神、我らと共に(ある)」という意味です。恐れず神に従えというイザヤの助言に躊躇うアハズ王に対し、イザヤは神が共におられる「しるし」としてインマヌエル預言を告げました。

この意味するところは、窮地に立ち恐れる者に「神、我らと共にある(ならば何を恐れるのか?)」という約束です。神を信じるとは如何なることか?それは、光は闇の中に輝く如く、窮地にあって(こそ)、神が共にある事に希望と平安を得ることに他なりません。

神の約束は常に闇の中で、崖っぷちでこそ働くのです。しかし信仰者というものは一面身勝手で平安であれば神に感謝し、窮地に立たされればその神を疑ってしまうものです。

しかし改めて確認しましょう。我らの信じる神は、我らが崖っぷちに立たされた其処で、インマヌエルを告げる神であることを。K・バルトの言葉にあやかるならば「人間の危機は神の好機」であることを。

「いつ如何なる時も・・・」とは敢えて申しません。今まさに不安と悲しみと人知では逃げ場を見出だせない其処においてこそ、インマヌエルの約束を信じましょう。マリアとヨセフのように。

「神、我らと共にある(ならば何を恐れるのか?)」という約束に立つことが即ち、主の御降誕に備えることで御座います。

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