新しい人

実に、キリストはわたしたちの平和であります。二つのものを一つにし、御自分の肉において敵意という隔ての壁を取り壊し、規則と戒律ずくめの律法を廃棄されました。こうしてキリストは、双方を御自分において一人の新しい人に造り上げて平和を実現し、 十字架を通して、両者を一つの体として神と和解させ、十字架によって敵意を滅ぼされました。

(エフェスの信徒への手紙 2.14-16)

 

21世紀を迎えた頃の話、大江健三郎氏があるニュース番組にゲスト出演し以上の「新しい人」とは「和解のために自分を用いる人」であると解説されていました。

人は新しい一日、週、月、そして新しい年を迎えるたび、時というものに期待を寄せます。今日は、今週は、今月は、今年こそは・・・と。しかし、時が変われば何かが変わる、かもしれない、というのは幻想でありました。時が変わって何かが変わるわけではありません。

戦争の世紀といわれた20世紀を終えようとしていたあの頃、人類は21世紀に大きな期待を寄せました。しかし何も変わりませんでした。憎しみによる復讐の連鎖、己の利益優先、弱者放置、権力の独裁。

大江健三郎氏の聖書解釈にあやかるならば、新しくなるべきは時ではなく、人であります。新しい人が新しい時を刻んでいくのであります。敵意という壁を乗り越えて和解のために自らを用いていく新しい人の一歩一歩の積み重ねが新たな時を刻むのです。

340年、白人支配が続いていた南アフリカ共和国。1994年4月、全ての人種が参加する初の総選挙が行われました。憲法が制定され、ネルソン・マンデラ氏が大統領となり、アパルトヘイト(人種隔離政策)は撤廃されました。

これを実現したのは時ではありません。武力による白人打倒を捨て、差別という問題の解決を白人との対話の中に求めた新しい人によるものでした。

キリスト者として、新しい人と成りましょう、諦めることなく。そして新しい時を刻んで参りましょう。私たちが新しい人と成るべくキリストは十字架にお架かりになったのですから。

「楽観的であるということは、顔を常に太陽へ向け、足を常に前へ踏み出すことである。」

(ネルソン・マンデラ)

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