一つになる瞬間

昨日(2/4)、川崎市労連会館において「ヘイトスピーチを許さない」かわさき市民ネットワーク結成1周年記念を兼ねた、人種差別撤廃の条例を求める集会が開かれました。川崎市では2013年からヘイトデモが繰り返されて来ました。これに対して被害者らの訴えから始まった反対運動によって、川崎市人権施策推進協議会は「ヘイトスピーチ対策に関すること」を優先的に審議しこの度その報告書がまとまりました。それによれば、取り組むべき事項として次の三点が具体的に示されています。

 

1.公的施設の利用に関するガイドラインの策定

2.インターネット上の対策

3.制定すべき条例の検討

 

集会は「オール川崎」を合言葉に与野党の国会議員、市議、県議が政党・党派を越えて列席し、国と地方行政、議会と市民が連携したものでした。

「オール川崎」とは何か?それは「我が街」です。我が街を守るという一点が立場を越えて一つとなりました。

キリスト教会とは「信仰告白共同体」であることは言うまでもありませんが、しかし告白の言葉が多様な人間を一致に導くものではありません。人が一つとなるのは、課題にかかわる瞬間であります。これは利害の一致という類のものではなく、苦難を強いられた当事者性と放置することの出来ない隣人との関係性が一つになったものです(一言で言えば共に生きる)。この時、人は宗教者であろうとなかろうと、思想信条が如何に異なろうと、犬猿の仲も、その違いが対立としてではなく、それぞれの根拠として機能し課題に参与し隣人に仕え一つになるのです。換言すれば、私どもキリスト者にとって、その信仰とは如何なるものか?という問いは、言葉(信仰告白)が受肉(隣人に仕える)したその有り様でしか言い表せないのであり、それを先ず持って示されたのが、言葉(神)が受肉(人となり人に仕えた)したイエス・キリストであります。

主が仕えたように、私どもも仕えてまいりましょう。それが主の新しい掟であります。それが我らの信仰であります。

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